入院

なんてことない日々を送ることが辛くて、それが当たり前になっていたこの10年間。

薬の量は生殺しの量だった。それは私の我儘でそうしてもらっていた。

鬱気分になってしまう自分を受け入れざるを得ないと理解していながら、薬を飲まなくては生きていけないなんて本当は受け入れたくなかった結果だ。

 

それが31歳になってから一カ月も経たない内に、私はぐったりした状態で精神科に入院することになった。

普通なら精神科に偏見があるだろうが、まさにその通りで点滴中に勝手に針を抜かないように拘束具で両手を止められる。点滴は数時間あるのでその寝返りもうてない状態に、まさにイメージ通りだなと納得した。

 

鬱になっていた10年間、食べることが苦痛なくらい食事をまともにとっていなかった私にとって、点滴をしつつ三食食事が出てくることに何故かワクワクした。

 

最初の内はほとんど残していたものの、徐々に全食するようになった。退院の日には約5キロも太っていた。

 

入院期間中は、テレビと新聞以外の外部からの情報を一切遮断されていた。インターネットを見れるのは、面会中だけ。家族と話しながら携帯をずっと見ていた。入院期間中、最初はその時間だけが唯一の娯楽の時間だった。

 

しかし、徐々に病院内で人間関係が出来てくると娯楽が増えた。テレビの話をしたり、天気の話をしたり、なんてことない会話やオセロやトランプなどの時間が心地よかった。

 

入院している人は様々な理由でここにいる。深くは聞かずとも、今疲れてるからごめんね、と一言言えばすぐに理解してくれたことも楽に過ごせた理由の一つだ。

 

最初はベッドが空いていないからとの理由で一人部屋だった。最初はベッドと物置だけの部屋に一日中籠っていた。何日も、何日も。

 

そのうち、新しい入院患者さんが入ったため、二人部屋に移された。同室になったのは50代の綺麗な女性だった。

 

その人は、初めて入院したときから同じテーブルで食事を摂っており、遅くテーブルに着く私の席をハンカチで取っておいてくれていた。まだほとんど何も話していない時だ。

 

同室になったといってべらべらお話しをするわけではなかった。自分の時間を確保しつつ、お互いに気を使い生活していた。

 

時間が経つにつれ少しずつ話すようになり、年齢差もあってまるで入院中は娘になったような感情を持つようになった。

 

娯楽が少ない入院中に、同室者と話すことは実になる時間だった。あっという間に時間が過ぎたし、いろいろな意見交換をした。

 

退院が決まってから、入院中に仲良くなった人と一日一日を大切に過ごした。本当に、私にとって財産になる数カ月だった。

 

連絡先を交換したくなったが、それはしないでおこうと意見が一致した。お互い、ここでの思い出を大切に心の支えにし、二度と病院に戻ってこないようにしよう、と誓った。

 

実はいろいろ端折っていることがあるのだがそれは私の中だけの秘密にしておこうかなと思う。記録として残しておきたいのだが、残しておくより風化させた方がいい記憶もあるから。